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よく、水とエネルギーは、高い方から低い方へ流れるといわれています。
この法則は、自然界においては絶対的な法則であり、これに逆らうと、逆にそれ以上のエネルギーを必要としてしまいます。
私達の生き方も、エネルギーの使い方も、高い方から低い方へと流した方が、より効果的で、スムーズにいくのではないでしょうか。
逆に、水の流れを逆流し、何かをしようとしたならば、その大きなエネルギーが、かえって大きな負担となることが、よくあります。
しかし、頂点を目指すという意識の中で物事を図ったならば、流れに逆らって生きるしかないのです。
あの川にすむ鮎も、海に行くことは非常に簡単に思われますが、そこで大きく育ち、川に戻ってくるとき、鮭も同じことですが、どんなに大変な思いをすることでしょうか。
安全なところで産卵したいという、また自分が生まれた故郷で生を持って欲しいという、大いなる優しさは、川の流れに逆らい、そこで本能を全うするわけですが、その結果、命を落とすことになるのです。
流れに逆らって事を起こそうとすると、逆に素晴らしい出会いもあるのかもしれませんが、命を落とす危険すら、そこには存在していることになるのです。

よく水は、流れたいところに流してあげたらいいんだという、そういったことを言う人がよくいますが、確かにその通りかと思います。
一番高いところに水を運び、そこから少しずつ水を流すと、いくつもの枝に分かれながら、下へ下へと流れていきます。
そのうちに奔流が生まれ、そこはやがて深さを持ちながら、多くの水を集めてきます。
逆に余所から流れた水をも吸収し、やがて大河となっていくのです。
その水の流れや方向性と、人間の生き方は、非常に似たところがあるのです。
下から上は、見えません。
どんなに背伸びしても、そこは見えない世界なのです。
色々なステージがあり、そこには階段が存在しています。
階段を一つ一つ上がりながら、鮭が卵を生みにいくように、頂点を目指すことも、その人にとっては大切なことかもしれません。
またその中間のステージの中で、立場を強調することも、それも一つの生き方として大切に思われます。
どれがいいかは別として、そういった自然界の現象の中から、現実を捉え、生き方をちょっとだけ変えてみたら、意外と解りやすく、物事が進むこともあるのです。
水が高い方から低い方へと流れるように、重いバケツを持って階段を上がることは、結構大変なことかもしれませんが、その上から水を流し、その流れる水に沿って、人生のあり方を少しだけ変化させながら、周りをよく見て、流れに逆らわず、例えばそこに浮かぶ木の葉のように、ゆっくりと流れて行ったらいいのかもしれません。

会社の社訓があります。
『柳に風』
『豆腐の意思』
『謝り上手』
『川に落ちたら落ち葉になれ。
 大海を見ることもある。
 川の中の石にはなるな』
いい加減な社訓のように見えますが、川の流れに沿って生きることが、波風立てずに済む、一番抵抗現象の少ない生き方なのでしょう。
川に落ちた石になってしまったならば、流れの抵抗を全部自分に受け、角が削れて丸くなります。
それはいいことかもしれませんが、そうなるまでの苦労は、大変なものでしょう。
出来れば落ち葉のように、ゆらりゆらり揺られながら、周りの景色を楽しみ、山の中に住んでいたら、こんなに大きな海があることを知らずにいたように、今まで気付かなかった世界が見えることもあるのです。
台風が来ても、柳の枝は折れることはありません。
彼らも、自然界の中で、とても上手に生きているのかもしれません。
人の意見を覆したり、逆らったりしてみても、いい結果が出るとは限りません。
その意識の中に便乗しながら、新しい方向を見出すためには、できるだけ柔軟性のある、豆腐の意思も必要なことなのです。
これも全て、水の流れに逆らうなという意味であり、そこから発見できる多くの事柄を、水という記憶の中で保存することと、また、そこから引き出すことが可能となってくるのです。
とにかく、流れに逆らわず生きることが、やはり、大切なことといえるのでしょう。

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