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最近、町の中に増えてきたのが、自然食のお店や、オーガニックを主体としたレストラン等が、結構注目を浴びています。
しかしながら、なかなか本物と出会うことは出来ません。
何故ならば、自然とは、全く人間が手を加えていないことをいいますし、オーガニックは本当に安全な野菜や果物を想像します。
今の現状では中々難しいのかもしれませんが、富山の友人が語っていました。
「私は、雨に当たった野菜は出荷しない」と。
しかもビニールハウスには、空気清浄機までついていました。
確かに今は、農薬や化学肥料よりも、何が含まれているか解らないような雨のほうが、よほど危険といえるでしょう。
また、自然食のお店では、品種改良したものや、遺伝子組み換えのものを、ただ有機農法で育てたという理由だけで、非常に危険なものを堂々と売っていました。
これも仕方ないのかもしれません。
自然とは何か、もう少し深く考えて見ましょう。
春、小さな林の土手に、ケヤキがたくさん芽を出していました。
双葉のものから、少し大きく枝を伸ばした、10~15cmぐらいのものもありました。
土手一杯に芽を出したケヤキ達は、太陽の光を浴びて、とても嬉しそうに見えました。
何日かしたあと、そこには、ノカンゾウとヨモギが沢山芽を出していました。
成長の早い草達は、どんどんそのケヤキの苗を追い越し、やがて太陽を草達が占領してしまいました。
秋になって、同じ土手を見に行ったとき、ケヤキの新芽や苗木は、成長することなく、全滅していました。
その少し上には、多分その新芽達の親であるケヤキが、何事もなく、堂々とそびえたっていました。
自然界は、人間が手を加えなければ、自然淘汰という形で、そのテリトリーの中で、食物連鎖が繰り広げられ、枯れていったケヤキの新芽達も、その草やそこに育つ他の植物達の肥やしとなり、十分役割を果たすことになるでしょう。
それが自然です。
畑に大根の種を沢山蒔きました。
全部の種が、一斉に芽を出し、緑の絨毯を敷いたようになりました。
そのままにしておいたら、売り物になる大根は一本も育ちません。
こまめに間引きをして、残すべき大根とそうでない大根を区別してあげるんです。
放っておいたならば、全部が育ってしまうからです。
何故ならば、草がきれいに刈られた畑では、同等の立場にいる大根の芽は、争いながら、全部成長してしまうのです。
そして、争いあった結果、貧弱で売り物にならない、しかも、ストレスだらけの大根が出来るのです。
木曽のヒノキは、天然のものは檜と漢字で明記します。
植林したものは、ひらがなでひのきと書くそうです。
植林した檜は最初、間隔を非常に狭く植えます。
何故ならば、太陽の光を求めて、上へ上へと伸びる性格を利用しているからです。
15年ぐらい経つと、間伐(かんばつ)といって間引きをしてあげます。
そうしないと、立派なヒノキが育たないからです。
要するに、人間が植林した場合、同じ条件の中で、木達は育ちます。
最近、環境問題の中で、山にもたくさんの木が植えられ、何か緑の森を取り戻そうという運動が行われていますが、人間が植えた木は、自然ではないのです。
だから、お互いが争い、競い、ストレスの中で、とてもかわいそうに育っていました。
もう少し、間隔を広く、ゆったりと育つように植えてあげればいいのですが、自然は勝手に淘汰されるという、あくまで自然界での条件の中で行われる出来事を、植林にも当てはめているばかげた理論があります。
人間が手を加えてしまったら、自然淘汰は中々起こらないのです。
それは、海の中も同じです。
魚達は、卵をたくさん産みますが、孵化して1ヶ月も経たないうちに、ほとんどが食べられてしまいます。
そしてわずかに残った命だけが大きく育っていくのです。
これも自然淘汰の法則で、当たり前の出来事ですが、養殖で稚魚を育てた場合、全てが大きく育ちます。
人工と自然の違いは、明らかなのです。
自然とは、全く人間が手を加えないことを指すのであり、人間が手を加えてしまったならば、確実にそこには、自然界の法則が存在しなくなってしまうのです。
発想はとても素晴らしいのですが、植えられた木の立場に立ってみたら、とてもつらいことかもしれません。
以前、砂漠に木を植えないでと、何故ならば2年以内にほとんど枯れるからと、文章にしたことがありますが、自分が砂漠に植えられた木になってみたら、そのつらさはよくわかるでしょう。
そして砂漠で枯れた木は、確かに何かの役に立つかもしれません。
もちろんこの地球上では無駄がないからです。
老木が倒れ、朽ち果てて、でも自然にはゴミが存在しません。
それが例え、森の景観を悪くしたとしても、新しい芽吹きのためには、とても有効的な出来事なのです。
人間は、知ったかぶって、自然の一部を見て、何を考えているのかわかりません。
自然界は、厳しさの中にも実は、とても緻密に計算された、自然界のサイクルがあるのです。
大地と水、光と風、そして雨、成長の早いもの、そして成長の遅いもの、成長の早い草は、一年で枯れ、成長の遅い木は、何年も生き続け、そんなシステムの中で、自然界は存在しているのです。
人間が手を加えて、植えられたものは、条件が等しく平等ならば、全部が競い合い成長するのです。
しかしその成長は、とても惨めなものとなるでしょう。

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