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慌ただしい毎日を過ごしながら、たまにはゆっくりしたいなと、そんなことを考えることもあります。
1人で車を飛ばし、小高い高原の中に入っていきました。
霧の中を少し走ると、やがて晴れ間が現れ、下の方には雲が、空気はとても澄んでいて、そこで休もうとすると、冷たい風が何故か心地よく、心を癒してくれます。
本来ならば、あたたかい愛に包まれることが、一番望ましいことなのに、なぜか冷たい冷気の方が、心が安心するのです。
静寂という言葉の中に、多分そのような意味があるのかもしれませんが、本当に穏やかな毎日を過ごそうとしたならば、今の社会や人間関係の中では、とても難しい出来事なのです。
人の心を変えることも出来ないし、ましてや、自分の心を変えることも出来ません。
いくら変わりたいと思っても、人間はみな、人には厳しく、自分には甘いのです。
その自分への甘さが、社会を敵に回し、そしてその苦しみから逃れるために、優しさとか愛とか、友達とか恋人とか、確かに一時的には、心が癒され、そして、楽しい時間を過ごすことができます。
愛する人達と一緒に食事をしたり、日常生活を繰り返す中で、友達と電話をしたり、話の内容など、本当はどうでもいいのです。
お互いの確認の中で、愛に満ちた喜びのような錯覚の中で、ただお互いをいたわり合いながら、ある種自分を慰めたに過ぎないのかもしれません。
挫折することが、そして坂道を転がり落ちた方が、楽に生きられる、それが現実なのです。
そして、誰かに管理され、それを見守られていると勘違いし、その優しさを、管理されているとは思わず、社会に流されながら生きているのです。
法律があって、国があって、秩序があって、そんな決まりごとの中で、基本的な自由を失いながら、逆にそれが、とても心地いいのです。
要するに、人間達はほとんど、いい加減な観念の中で、時間を過ごしているに過ぎないのです。
ふと我に返ったとき、そこに何もないことに気がつくことでしょう。
何故ここにいるのか、自分の心は何を求めているのか、何かに怯えたり、逆に怒りがこみ上げてきたり、そこには、自分の存在はあっても、他人の存在は、余り大きなものではないのです。
要するに、身勝手すぎる自分がいて、勝手に相手を批判しているに過ぎないのです。
それは自分の都合が良いか悪いかの、そういう判断の中で、生まれる現象に過ぎないのです。
国も、同じ現象の中に存在し、政治家や官僚達も、それを作り上げられた社会を、守ることから批判が始まり、壊す勇気はなく、その中で、心地よさだけを求めているのです。
置かれている世界はとても都合がよく、欲しいものはほとんどが手に入ります。
愛情も、薄っぺらなものならば、お金で買えるといってもいいのかもしれません。
なんでも手に入る世の中で、もし手に入らないものがあるとするならば、自分という身勝手な意識の、その中に存在する本質的な意識でしょう。
要するに、自分で自分がコントロールできないのです。
自分が自分を捕まえることが出来ないのです。
自分の身勝手さにあきれ返っても、自分の弱さに気付いても、それを常に隠そうとする自分がいて、自分という存在ほど不可思議で、つかみようのない勝手な存在はないのです。
全ての敵は、自分の中にあるのです。
素直な本質的な自分が、いつも小さく、うずくまりながら、それを覆う悪魔のような自分に支配され続けているのです。
本質的な自分を探し、本来のあり方を取り戻し、その記憶を蘇らせることが出来るとするならば、静寂的な意識の中でしか、それを認識することは出来ないでしょう。
あたたかく包まれることではなく、冷たく頭を冷やすことにより、また心を氷のように閉ざすことにより、自分を探すことが出来るのです。
自分探しすることが、社会生活の中で、一番難しい現象なのです。
責任を転嫁し、他人にそれを委ねているかのように思っていますが、実はそうじゃない、全ての犯人は自分で、自分が自分を駄目にしているのです。
それは社会とか、他人ではないのです。
それを認めようとする勇気は、静寂な意識の中に存在するなら、一度心を閉ざし、冷たく、冷えてみてはいかがでしょうか。
きっと、その奥底から、新しい炎が、産声を上げることでしょう。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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