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全ての生命体の中には、エンジン部門として大いなる活躍をするミトコンドリアが存在しています。
植物の細胞の中には一個ずつ、私達人間の細胞の中には、1つの細胞の中に沢山のミトコンドリアが存在しています。
人が亡くなると体重が300g程度軽くなると聞いたことがありますが、どの様な現象でそれが起こるのか、デルファトラの科学の中でミトコンドリアの研究がなされ、この驚異的な彼らの生き方の中に、興味深いことを発見しました。
ミトコンドリアの種類について、もちろん私達の体の中に住むミトコンドリアのことですが、全部で8種類、その存在を見つけました。
例えばそれを、Aから順に、B、C、D、E、F、G、H、なんだか飛行機の座席のようですが、このように分けてみると、少し今までの考えとは違った発想が生まれてきます。
そう、ミトコンドリア・イヴは、一つではなかったのです。
そして、生きた細胞の中ではこの8種類のミトコンドリアは確認されたのですが、死んだ細胞の中にはFとGの存在が確認できませんでした。
このことから、亡くなると体重が300g軽くなる原因の一つが見えてくるのです。
自然現象の中で、よく、オーブやたまゆらと言われ、写真で撮影した時に現れる白い玉がありますが、それら霊的意識のエネルギー源に、彼らが関与している可能性は非常に大きいのです。
生命が誕生する時、卵子にも精子にもミトコンドリアは存在しますが、精子におけるミトコンドリアは、卵子と出会うまでのエネルギー源として使われ、卵子の中に入り込むことは出来ません。
よって、ミトコンドリアは女性からしか遺伝しない、極めて奇妙な存在なのです。
しかも、卵子の中の遺伝子の大いなる領域を占めるものが、MT遺伝子、すなわちミトコンドリア遺伝子なのです。
そのミトコンドリア遺伝子と、精子核における遺伝子が融合し合い、もちろん結合の中で情報交換し、分裂を繰り返す中で、染色体とミトコンドリアが上手く絡み合いながら、彼らはその持つ情報とミトコンドリアの持つエネルギーにより、この超ミクロの世界で、図面通り人間を作り上げていくのです。
この驚異的な能力とエネルギーは、彼ら自身が持つ最大なる能力といえるでしょう。
しかもこのミトコンドリアは、人間だけではなく、あらゆる生命体の中に存在します。
一般的な動物の中にも、デルファトラの科学が確認した中で、4つのミトコンドリアの組み合わせを計算し、その彼らと私達人間、特にその継承者である、要するにミトコンドリア製造装置であるかのような形で女性が存在し、この存在はミトコンドリアにおける情報とエネルギー、遡ることこの宇宙の発祥そのものからの記憶を持つ彼らとの中に、優れた霊的感性が存在しているのです。
霊能者に女性が多いのは、他の動物達が持つミトコンドリアや他の植物達や微生物達が持つミトコンドリアと上手く融合し合い、極めて完成度の高い未来予知能力を得ることが出来るからなのです。
遺伝子の情報を私達の脳が全て読み取ることが出来れば、それは大変素晴らしい出来事となりますが、エネルギーの発生がそこには不可欠なものとなっています。
要するに、ミトコンドリア遺伝子が情報とエネルギーを自ら作り出し、その持つ特異性の中に、女性だけが得る周波数が存在します。
それが他者から来る周波数と共鳴し合い、完成度の高い表現方法を見出すことになるのです。
しかも、倭民族、ここではアイヌも琉球も含め、倭と呼ぶことにします。
その倭民族が持つ特殊能力の一つが、そのミトコンドリアとのコンタクトが出来るということなのです。
ここには、宇宙の法則が全て書き込まれています。
生命誕生の偶然ではない出来事が、記されているのです。
今後、この大いなる能力は、倭民族の女性の中から生まれ、未来を変えていくことでしょう。
僕が見た夢で、とても印象深く残っている出来事があります。
神々達が集い、小さな火を囲みながら、酒盛りをしています。
巫女達が天の声を聞きながら、口噛酒を神々に振舞っていました。
雅楽の音が鳴り響き、陶器で作った鈴の音が、辺り一面に鳴り響いています。
その音と共に、巫女の舞が厳かに始まり、静かな時の流れが心地良いはこびとなり、目の前で繰り広げられる神代の舞に心引かれ、魅入るようにその時を過ごしていました。
地を拝み、天を仰ぎ、また地を拝み、天を仰ぎ、両手を広げ舞う姿はとても美しく、膝をつき両手を高くそして後ろへと、まるで蝶が羽化し、目覚めるような、その時の新しい息吹と命の誕生に、静かに舞い上がる白い蝶が、神々達の心を和ませてくれています。
そう、これは変化の舞。
蝶はその昔、毛虫だった。
大地を這い、英気を蓄えながら、やがてくるその日の為に毎日を過ごします。
やがて繭を作り、静かな時間の中で目覚めを待ち続けるのです。
やがてその瞬間がやってきて、きらびやかな、そしてしなやかな舞の中に、やがて羽衣をまとい、天を舞うような美しい蝶が現れ、神々達とそこに集う人々との中で、一時の安らぎを与えてくれていました。
僕は幾度となく、この舞の中で過ごした日々のことを思い出します。
なんて美しい舞なんだろう。
あの嫌われ者の毛虫が、これほどまでに美しい蝶になり舞い上がる姿は、誰もが感動するに違いありません。
人間もまた、同じような生き方をしているのかもしれません。
今は幾つものの命を食べながら、毎日を過ごしています。
丁度それは、毛虫のようでもあります。
その時、思います。
毛虫達はやがて蝶になることを知っているのだろうか?
確かに、蝶は毛虫の子を産みます。
でも毛虫達は、やがて蝶になることを知らず、今を一生懸命生きているに違いありません。
丁度、このことは、肉体を持って生きる人間達が、やがて死を迎え朽ちていくという、考えを否定するというものとなります。
そう、肉体の死は人間の死ではなく、毛虫が蛹(さなぎ)になりそして蝶になるように、肉体を離れた魂は、そして心は、きっと蝶のようにこの世を優しく包み、舞い誇ることでしょう。
今それに気付き、今を確実に生き抜かなければなりません。
やがてくるその日の為に。
全ての物質、全ての生命体には、必ずといっていいほど意識が存在すると言われています。
その意識が意思を持ち、歩き始めている、そんな時代により、またそんな記憶により、大宇宙は形付けられているかと考えられます。
意識がもし、エネルギーを支配することが出来たなら、逆にまた、意識そのものがエネルギーであったならば、生命誕生はいとも簡単に出来たことでしょう。
ダーウィンの法則が正しいかは分かりません。
しかしながら、彼の言った言葉にとても印象的なものがあります。
彼は言いました。
「強いものが生き残ったわけじゃない。
環境に適合したものだけが生き残れたんだ」
進化とは、環境と融合し合うことにより生まれた、素晴らしい意識によって、形付けられていったものだと思います。
物質と意識、そしてエネルギーが上手く交差することにより、そのプログラムは形付けられ、組み立てられていったのであります。
意識と意思が融合し合い、情報と記憶が融合し合い、そこから生まれたエネルギーがその意識を包み、新しいものへと変化し、それをただ進化と呼んでいるに過ぎません。
意識が、そしてエネルギーが、一対のものであるならば、今起こっている現象は、さほど理解するのに困ることではありません。
何を言いたいのかというと、要するに、意識により、エネルギー化された情報と物質を変化させることが出来るということなのです。
もっと分かりやすくいうと、人類が今、大いなる危機的な状況の中で、進化することが可能だということになります。
私達は自分の意識により、この危機的な地球の中で環境に適合した状態で生き続けることも可能ということを、ここで証明していくことが出来るのです。
私達人類は、2012年のある日をもって、その意識に目覚めることでしょう。
それは2020年までの間に実行され、この危機を乗り越えることと思います。
意識して下さい。
願って下さい。
そして自分を変えて下さい。
そして環境に適合して下さい。
その為に、かつてない地球の危機的な記憶を持った情報と触れ合って下さい。
そう、生命誕生のあのプログラムを、あの遺伝子のそこに沈んでいる生命誕生のプログラムを、今こそ情報の最先端、トップ情報に再入力することが不可欠となるでしょう。
私達にはその能力があります。
決して不可能な出来事ではないのです。
大変革の中で、今人類が存在している事実を認識する上で、可能な出来事といえるでしょう。
諦めないで下さい。
人間には、まだ未知の能力が存在します。
ただそのスイッチが入っていないだけなのです。
私達人類が、デルファトラの科学と融合することにより、そのスイッチはオフからオンへと変わっていくことでしょう。
その時に作り出されるエネルギーは、この空間の中で増幅され、物質が持つエネルギーと融合し合いながら、新しい未来を築いていくことでしょう。
ゼロバランス誘導調整装置から作り出される水は、全てをゼロバランスに導こうとする力を持っています。
あえてそれをゼロバランス保有率と呼んでいますが、あくまでゼロバランスに誘導する能力の単位なのです。
地球上に残る唯一安定した水は、何億年前かの氷の中にしか存在しないといわれていますが、現在ある私達が使える水を、出来るだけ安定させる方向へと導くことが、生命体にとって必要といえるでしょう。
ここでいうゼロバランスは、アンバランスの反対用語として考えることもできます。
要するに、崩れたバランスをいかに正常なバランスへと導き、それをゼロバランスという表現に変えることにより、非常に分かりやすい形となり、私達は宇宙の法則に従い、それを容認すればそれだけで済むことなのです。
自然界は水を含め、全ての物質が安定する方向へ導かれ、存在しています。
ゼロバランス誘導調整装置は、自然の中で崩れていった色んな情報、また人間が人間の手により崩してしまった情報、また自然外物質により書き込まれてしまった、私達にとって必要でない情報をフォーマットしながら、そのバランスを整えていきます。
このことが、全てにおいて安定を図る為の絶対的な条件となっております。
よくエネルギーに関して聞かれることがありますが、高いエネルギーを持つことは、特に水にとって、バランスさえ崩せば簡単なことなのです。
何かを転写するなどという言葉もありますが、それも安定を崩すことから始まります。
逆にいったならば、安全性はどこにもないのです。
やはり求めるものは、安心と安全。
そんな観点から、いかに私達にとって都合のいい水にしていくか、また逆に崩れてしまったバランスを正しい方向へ導くことの方が、絶対必要な行為といえるでしょう。
ゼロバランス保有率とは、そしてその保有率の違いとは、安定へと導く速さを意味します。
保有率が高い程、安定へと導く速度が速くなり、逆に保有率が低い程、安定へと導く速度が遅くなります。
しかしながら、安定へと導こうとするエネルギーの単位ではないのです。
やはり、この宇宙空間の中では、情報とエネルギー。そして物質化現象の中で、もう一つそこに絡み合ってくるものが、時間と次元なのです。
現実の中だけで物事を図ろうとすると、時間と次元を無視して考えなければなりません。
まだ地球での科学は、水に対する全ての科学は、そこに到達はしていないのです。
この今おかれている私達の環境の中では、どんなに素晴らしいものを作っても、時間的なサイクルの中で破壊されてしまいます。
どんなに素晴らしい情報を転写しても、全く持続性という問題を解決していないのです。
それは時間的観念を、また環境における不合理性を、無視した考えの中に存在するからです。
自然界は、やはりゼロバランスに誘導されることが最も適していますが、バランスを崩すことによって出来上がっている社会の方が逆にエネルギーを持ち、強い位置で存在しているのです。
急激な変化は、あまり好ましくありません。
少しずつ時間をかけながらゼロバランスへと誘導し、安定したサイクルの中で自然環境が営まれたならば一番いいことなのですが、人々は欲の世界の中で、多ければいいと考えます。
あくまで足し算の科学の中でしか存在しない、間違った考え方なのです。
どんなに変化の中で時間が存在したとしても、宇宙空間内における全体的な質量は変わることはないのです。
だからこそ、ゼロバランスに導く能力、また安定へと導こうとする力が必要となってきます。
要するに、保有率が低いからといって、ゼロバランス誘導能力が劣るということではありません。
テレビ報道の中で、私達は沢山の情報を吸収しながら社会生活を営んでいます。
それらは私達の生活の中に馴染み深く入り込み、コントロールしようとしていることも事実です。
何が真実なのか解らず、ただ騒ぎ立てることだって沢山あるのです。
ここ何年間で、愛は地球を救うという言葉を耳にしてきました。
果たしてそうなのでしょうか?
逆に、愛とは何なのでしょうか?
誰もが皆、人を優しく包んだり、安らぎを与えたり、勇気を与えたり、温もりを感じたり、優しさの中で生きられたらと願っているに違いありません。
要するに人間は、愛の発信源ではなく、愛を受け取る存在となっていることでしょう。
これは全く、愛は地球を救うという言葉を逆さにした状態と考えないと辻褄が合いません。
要するに、何らかの現象により、安らぎと満たされた心がそこで感じるものが、愛ということになります。
そう、救われたのちに私達が受けるものが愛なのです。
愛とは、最終的に人間が感じる到達地点のようなものではないでしょうか。
人間はその愛を受け取りながら毎日を生きていると考えた方が、逆に分かりやすいのではないでしょうか。
愛とは発するものではなく、受け取るものなのです。
全く逆に考えていたのかもしれません。
募金をしたり、ボランティア活動をしたり、人に感動を与えたり、思いやりをもって活動することが、愛だと勘違いしている人もいますが、これは愛ではありません。
あくまで自分でできる精一杯の行為であり、実現化された行動の一つなのです。
そしてそれをやり遂げた時、自分の心の中に安らぎが存在したならば、それが愛なのです。
誰もが皆、人類が平和であることを願っているに違いありません。
でも一度満たされると、それに慣れてしまい、新しい望みを持ち始めます。
人間の欲には限りがなく、次々と変化していくのです。
だからこそ、愛により満たされたならば、言葉を変えると、不安がなく安定した毎日が存在するならば、その願いは叶うこととなりますが、現実の中ではありえない現象です。
人間はなんて愚かなのでしょうか。
目の前にある全てをそのまま受け入れれば、何の不安もないはずなのに、受け入れることが出来なく、そこから逃れようとします。
そこにエゴと欲が絡み合い、自分を傷つけ、暮らしているのです。
それを別の言葉では、悩みといいます。
決して必要な出来事ではないのです。
すでに私達人類は、この地球から、そして植物達から、沢山の愛を受け取っています。
ある時、僕の足元にタンポポの花が咲いていました。
皮肉なことに、僕はそのタンポポを踏んでいたのです。
何をしてしまったのか、タンポポにごめんねと謝ろうとしたとき、タンポポはいいました。
『いいんですよ。
私達植物は、神様から、怒りとか悲しみとか苦しみとか嘆きとか、そんなものは教えられていません。
痛いということも、教えてもらっていません。
もちろん憎むなんてことも教えてもらっていません』
その言葉を聴いた時、人間はなんて愚かなのだろうとしみじみ感じました。
――そうだよな、人類は常に、愛され続けられている受身にあったんだ。
皆さんも認識して下さい。
誰もが皆、地球の愛に支えられ、その愛を受け取り、生き続けているのです。