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夜寝る前に『明日になったらああしてこうして…』そんな風に、沢山の予定を立てることがあります。
未知的な明日に対して、そこには現実性が伴わない為、色んな予定がスムーズに立てられるのです。
これから自分に向かってくる時間は、安らかな眠りの中にあるのです。
明日という時間は、その後訪れる時間の、観念の中に存在しています。
目の前に明日は存在していないのです。
でも私達は、時間はずーっと繋がっていると考えています。
だから、今計画を立てれば、目覚めた後の新しい1日の中で、それは実行されると考えます。
しかしながら、朝目を覚ますと、夕べ立てた計画がことごとく崩れ落ちてきます。
未来の予測の中で、自分の意識がそのまま平行移動し朝に至るという考え方が、実は間違っているのです。
その為、朝になると考えが変わり、ましてや晴れと予測したのに雨だったならば、計画の立て直しが必要となることでしょう。
そして夕べ立てた計画に対して、言い訳や反論を繰り返す自分がそこに存在するのです。
何の為にこんなことが起こるのでしょうか。

寝ている間に、沢山の夢を見たとしましょう。
でも朝になったら、何の夢を見たのかわからなくなってしまうこともよくあります。
どうしてこのようなことが起こるのか、それは私達人間の中に、時間的観念がアナログ回線のようなシステムであるという、勘違いが存在するからなのです。
全ての時間は、デジタル的に一つ一つが分かれています。
流しそうめんのように繋がっていたならば、誰かがそうめんに手をかけた時位に全てのそうめんに影響を及ぼしてしまいますが、坂道を沢山の大豆が転がっている時に一つの大豆が小石にはじかれても、他の大豆にはさほど影響しません。
時間もそのように、大豆が流れていくように考えると、非常に分かりやすいと思います。
だからこそ、繋がっていない時間の中に繋がりを求めるから、方向性が変わったり、計画の立て直しが必要となったりするのです。
あくまで時間はデジタルであり、繋がっていないのです。

このことをもう少し大きく考えると、昨日と今日は別の時間、別の一日なのです。
昨日の延長線上の中に、今日は存在しないのです。
今日の未来に、時間的な明日があるわけではないのです。
字を見ても分かるように、今日という字も明日という字も、昨日の続きとは書いてありません。
しかしながら、過去に向かう時間は、昨日と一昨日(おととい)は、そして一昨昨日(さきおととい)は繋がっているのです。
何故ならば、過去の記憶は保存され、繋がりがあるからです。
漢字とは、ものすごくよく出来ていると思いませんか?
私達は、その過去の結果を未来に導こうとした時、そして未来を変えようとした時、時間がデジタルであり、繋がっていないことが認識できたならば、全く新しい明日を築くことが出来るのです。
だからこそ、明日という字は明るい日と書くのです。

未来は、何も決まっていないのです。
時間がデジタルという認識になった途端、必然的理論は打ち消され、偶然的な理論に置き換えられることでしょう。
全てがそうなる訳ではありません。
観念的な繋がりが、そして心という思いが、望みという思いが、時間と時間の間を埋めることも出来るのです。
しかしながら、それも容易く切ることが出来ます。
人と人との別れや、考え方の相違により、同じ時間を共有しなくなることはいくらでもあることなのです。
忘れることが出来るのも、穏やかでいられることも、デジタル的な時間の中に、意識が委ねられているからなのです。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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