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毎日を繕いながら生きていたら、疲れませんか?
自分を隠して生きていても、繕っていても、何かそこに意味があると考えるならば、それは無意味という、その言葉に置き換えたほうがいいでしょう。
とても優しい人と出会いました。
ニコニコしながら、何でも許してくれそうな、優しい出会いでした。
なんていい人なんだろうと、誰もが感じることでしょう。
人は、最初は、繕いながら、本性を隠して生きているのです。
いつかその本性が現れることは、そのときは考えていないのです。
がさつに見えたり、荒々しく見えたり、何かがたいの大きな人が、顔を見ただけで怖いと思うような人が、お付き合いしてみたら、「いやだいい人じゃない」と、そんな経験をしたことがあります。
逆に、ニコニコして、優しくて、思いやりがあって、親切で、言葉にとげがなくて、そんな笑顔の人が、突然怒り出したり、自分の意見を通そうとしたとき、「いやだこれが本性なんじゃない」と、そんな経験をしたこともあります。
人間とはいったいどんな生命体なのでしょうか?
本性は、清いのでしょうか?
それとも、悪魔なのでしょうか?
みんな繕いながら、隠し続けて生きているのでしょうか?
本性をむき出しで生きられたら、そしてそれが、社会にとって悪的ではなく、有効的に思われたならば、そんな生き方が出来たら、とても素晴らしいと思います。
確かに、なくて七癖といいます。
ある一つの現場を見て、その人を判断したならば、その1点だけを見て、その人を判断したならば、絶対に間違うことのほうが多いでしょう。
人間は毎日、心が入れ代わり、猫の目や、山の天気よりも、早く変わることが多いのです。
ちょっとしたきっかけが、その心を傷つけ、ちょっとした別れが、その寂しさを繕うために、何かを攻撃したり、時に気晴らしに、ゴミ箱を蹴飛ばしてみたり、そんな人がいても、決してそれを攻める権利は誰にもないのです。
人は見かけによらないという諺があります。
また、人を見たら泥棒と思えという諺もあります。
何か人を、いい方向に現す諺よりも、このように、人を信用するなという諺のほうが横行しているのは何故なのでしょうか?
やはり人は、豹変するのです。
何年か前、そういった豹変の人と出会いました。
最初はとてもいい人でしたが、反旗を翻すと、悪魔のように思える人に変わっていました。
自分だけの思いでは気が済まないのか、他人をも巻き込もうとしながら、その悪的な本性は、次第に大きなものとなっていきました。
とても残念に思えて仕方ありませんでしたが、やはり本性という世界では、人間は、我慢できないのでしょう。
本性が一つであるのか、また二つであるのかは、余り良く理解できませんが、やはりなくて七癖というように、七つの霊体が、七つの意識を持ち、いいも悪いも含め、自分の心の中に存在していることは間違いないのでしょう。
どれが本性なのか、非常にわかりにくい面がありますが、自分を繕い、自分を隠し、そこにもし、営利が絡むとするならば、とっても悪人のように思われます。
何故ならば、悪いことをし、荒稼ぎしようとしたならば、いい人を装わなければ、それは不可能だということなのです。
がさつな荒々しい人に、人々は寄ってくることはありません。
いい人を演技し続けてこそ、そこに利益が生まれるのです。
騙しのテクニックは、そこに大きな意味を持つのです。
目的が何なのか、その目的が見えたとき、現実と照らし合わせ、確認しあった結果、それは演技であったことに気付くのです。
営利を目的にしない場合、本当のことを言う人のほうが多いのです。
お世辞を言ったり、人を喜ばせたりした中で、そこに利害関係が存在し、何かの利益を得るために、言葉を選び、相手の意識を手中に収めるのです。
そこに、営利が生まれ、大いなる収入となるのです。
それが金銭的なものであったり、意識的なものであったり、その場に応じて結果は違ってきます。
それは差ほど大きな問題ではないのです。
やはり利益のために、演技し続ける人が多いことを、諺は言い表しているのでしょう。

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