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 よく劇的な出会いがあった時、あなたと私は会う運命にあったのよと、その様に考える人が結構、沢山いらっしゃいます。
 しかしその運命は初めから決まっていたと考えたならば、それを必然的な理論というのですが、その様な考え方が多く存在している事は間違いないのですが、現実の中で必然的な出会いの中には、それを意図する法則とそれを近づけ様とするエネルギー的な存在が不可欠なのです。
 出会ってから意気投合したならば、ずっと前からその様な関係にあった様に今から過去へと遡り、その過去を変え様としている現実に過ぎないのです。しかしながら会うまでは、そこにはエネルギーが存在せず、求めていたからとしてもそれが結果として正しいかどうかは、未来に委ねられる結論なのです。
 例えば渋谷の交差点で、何百人もの多くの人達とすれ違ったとしましょう。その中にたった一人、運命の人が居たとしても、そこであなたはその人に気付く事はありません。引き合い理論はここには存在していないのです。
 もしその引き合い理論が正しいならば、一度のすれ違いで相手を見つける事が出来たでしょう。何百人もの中から、しかも渋谷のスクランブル交差点の中で、もし仮にその交差点で、10回すれ違ったとしても気づく事は出来ません。なぜならばそこにエネルギー的なものが存在しないからなのです。
 しかしその交差点で、目の前でその人がバッグを落とし、それをあなたが拾ってあげたとしたならば、そして顔を見合わせ声を掛け合ったならば、そこから小さなエネルギーが生まれ、初めて偶然が、必然へと変化する一瞬なのです。
 しかしながらそこではまだ、生まれたばかりのエネルギーはあまりにも小さく、声を掛け合い、顔を認識する位が限界なのです。しかし何ヶ月か後に、またその人と渋谷の交差点で偶然出会い、お互いに顔を覚えていて、あの時はどうもと、そしてお礼方々お茶でもと誘われたならば、そして意気投合しまるで何年も前からの知り合いの様に、楽しい時間がそこから生まれたとするならば、その日が偶然から必然へと変換された日になるのです。 あくまで出会いは偶然であり、何のエネルギーもなかったはずなのですが、お互いの意思の疎通によりエネルギー交換が発生しそれが高エネルギーへと導かれたならば、当然必然的に出会ったと考えてしまうのは当たり前の現象です。必然理論は結果論から生まれたものであり、あくまで過去に遡りそれを必然という形に言い表しているに過ぎないのです。
 人と人との出会いは未知数であり、いつどこで誰と会うのかは決して決まったものではありません。それなのにお互いの関係が深まると、それを必然的と言いたがる人があまりにも多いのです。
 植物で例えるならば、花粉が大空を舞い、めしべと出会う確率などは本当に低いものなのです。偶然そこにめしべがあり受精が行われたとしたならば、それを人間に置き換えた時にそれを必然理論と名付けるには、あまりにも不自然な現象が多いのです。
 あくまで偶然であり、初めからは何も決まっていたわけではないのです。必然理論を語る方々は、大変多くいます。あくまで出会う前の過去に遡り、あたかもそれが当たり前の様に言っているに過ぎないのです。
 要するに必然か偶然かという問題に対して、あまり意味のない現象なのかもしれません。それよりも、出会ってからどうするのか、またどういう方向に向かっていくのか、そしてお互いの存在感をいかに認め合うのか、それが未来へと繋がる発展的な意識になるならば、出会う前の関係はさほど大きな問題ではないのです。
 やはり出会ってから何をするかが問題となるでしょう。
 そんな時、必然的に出会ったと置き換える事によりお互いの関係が深まれば、それはそれで良いのではないでしょうか。

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