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3月11日以来、日本は大きな変化を迎え、人々の生活は著しく変わってきました。
中でも福島における原子力発電所の事故は、日本だけでなく人類そのものをも脅かす、衝撃的な出来事でありました。
しかし私達は、この地球、この日本で、生き続けていかなければなりません。
今、大いに騒がれている放射能汚染について、3年後、5年後、人体にどのような影響が出るのか、今はまだ分かっていません。
しかしながら、ロシアの事故から考えると、かなり大きな現象が起こることは避けられないでしょう。
特に私達の住む日本は、豊かな国で、季節を通し色々な環境を作り出しています。
中でも、やはり食べ物は国産のものを食べたいと誰もが思うでしょう。
しかしその食べ物も、かなりの勢いで汚染され、半減期が30年と、とてつもなく長い間、放射性物質のついたものを食べざるを得ない状況です。
どこに安全があるのかは、未来の結果からしか答えを見出すことが出来ません。
だからこそ、今一人ひとりが、安全管理を自ら行う以外に手立てはないのです。

中でも、日常生活で絶対的に不可欠なものに、水があります。
この水が今、放射性物質に汚染されてしまっています。
東北地方はもちろん、東京都の水道水やまた浜名湖や琵琶湖のような大きな湖に、雨が降る度に放射性物質が流れ込み、日増しに汚染濃度は高くなっていくことでしょう。
そんな中、多様な研究機関の中で、放射性物質を取り除くことに対しては、かなりの勢いで研究が進んでいると思われます。
しかし、ただそれは水の中に含まれる放射性物質を取り除くだけに過ぎないことで、放射性物質に触れた水はすでにかなりの勢いで、被曝しているに違いありません。
ましてや水は、情報を記憶するといいます。
そういった面から見ても、その記憶は放射線という、人類を恐怖に陥れる記憶となることでしょう。
逆に、フィルター等で放射性物質を水から取り除く為に、そのフィルターそのものが高濃度汚染物質になってしまいます。
その高濃度汚染物質のフィルターを水が通り抜けてくるわけですから、かえって水は情報被曝し、恐ろしいものとなることでしょう。
それなのに、そこまで考えずに、取れるからなどと言い、非常に危険な行為を行っている人々が多いことも事実です。

もっと分かりやすくいうと、被曝水は飲めない、ということになります。
 なぜならば、私達人間の脳は、その情報を的確に読み取り、かなりの勢いで、生命維持プログラムに悪影響を与えることは間違いないからです。
今までも、何万ガウスという強い磁気をあて、菌が繁殖しないから清潔で良いわ、という考え方もありましたが、ここにきて皆さんの知識も豊富になり、磁力線=レントゲン、即ち強い磁力線が、放射線の一種のX線(エックスせん)であったことを知ってしまいました。
磁石が水を被曝させていた為、菌が繁殖しなかったということになってしまいますよね。
これは衝撃的な出来事となるでしょう。
これからの私達が求めるものは、そして最優先されることは、安全である、安心して飲める水でなければなりません。
しかしながら、被曝した水を安心して飲める水へ変える科学は、デルファトラの科学者しか持っていないのです。
今こそ、そのデルファトラの科学を使い、被曝した水をフォーマットし、安心して飲める水へと変えていかなければなりません。
これは真っ先にしなければいけない重要な事柄となるでしょう。

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日本のある大きな組織団体が、波動の科学を否定したというのは、聞いたことがあります。
しかしながら、物が全て電子の中で構成され、そして常に動いているものです。
そのものの持つ周波数が異なるように、全ての物質から音が出ていると考えたら分かりやすいのではないでしょうか。
 なぜならば、電子は常に自由に動き回り、原子の原則の中で、それは大いに活動しているからです。
そしてまた、情報も電子の関係に委ねられ、伝えられていくことは間違いないのです。
よく情報転写という言葉も聞きますが、その方法にはいくつかのスタイルがあります。
意識をもって行う方法と、磁気をもって行う方法と、例えば次元図のようなもので行う方法もあるのです。

しかしながら、ここで具体的に、水を基本の定義にとり、考えてみることにしましょう。
一般の水は、それがどんなに素晴らしい湧き水であろうが、また機械的に作られたものであろうが、この地球に存在する限り、そこに書き込まれた情報は全てが正しいとは言い切れず、逆にこの20世紀における情報汚染は、莫大な汚染情報を、水そのものに書き込んでいることは間違いないのです。
科学の発展に伴い、大気中に放出された化学物質の情報は、降る雨に含まれ記憶されます。
工場排水や、病院から出る医薬品や、また一般家庭や人間から排出される化学物質は、その大いなる情報を記憶したまま、河川に流れ込み、情報汚染は極めて危険な状態にまでなっているのです。
このような水は、ただ一般的なろ過をして含まれている化学物質が取り除かれたとしても、記憶された情報汚染は限界を超える程の量となって、抱え込んでいるに違いないのです。
その様な一般的な水に、波動転写をしても、何の意味も持たないことは言うまでもありません。
ましてや、もしその転写が行われたとしても、移動の最中に受ける低周波、高周波、電磁波などの影響を考えたならば、輸送は間違いなく影響を与えるでしょう。
仮にそれがかなったとしても、家について開封した後、冷蔵庫にしまったり、家にはクーラーもテレビも、そこにおける危険性は拭い去れないものがあります。
そしてもっとひどい考え方の中には、他の水に転写し、培養して飲みなさいなどという、馬鹿な考え方すら存在しているのです。
培養する側の方が培養される側より能力が高いという実証は、されていないのです。
ましてやその逆すら、大いに考えられることなのです。

そんなことから、水における波動転写は不可能とされてきましたが、電磁波の影響や磁力線の影響を受けない、そして過去の記憶をフォーマットし、しかも化学物質も除去されたような水があるとするならば、逆にこの波動の科学は大いに役立つことでしょう。
そしてそこに、今後私達に起こりうるあらゆる記憶の中で、取り戻すべき情報を転写したならば、私達は特殊な能力を身につけることすら可能なのです。
フォーマットされ、生体異物反応を極力抑え、電磁波の影響を受けないような、夢のような水があったとするならば、現実を新しい方向へ変えていくことが可能なのです。
そして次元図が確立され、ゼロ次元の発見により、波動転写が意識により、自由に行えるようになりました。
この素晴らしい科学は、全ての命に安定した現実をもたらしてくれることでしょう。
そして最後に書き込まれた情報が、最優先するという情報の絶対的なプログラムの中に、未来に向かう素晴らしい科学も存在しています。
現実の中で、これ程までにも物質的な汚染と情報的な汚染が相乗効果をもたらし、全ての意識を破壊の方向へと向かわせている今こそ、この新しい波動の科学が正しい未来へと進んでいくことでしょう。
絶対的な条件として、フォーマットウォーターと、それを管理するゼロバランスエネルギー、そして、そこに入り込むことの出来るゼロ次元の出現が、この条件を全て満たすことになるでしょう。
それ以外の水は、残念ながら波動転写しても何の意味もなく、何の能力も持つはずがないのです。
人間が作り上げた社会は、それほどまでに危険性を帯びているのです。
したがって、波動を研究される多くの人達と、フォーマットウォーターの使い方について、一緒に研究していきたいと思います。
 なぜならば、人間の意識や脳の関係の中に入り込むことが出来る情報を持ったものが、水しかないからなのです。
必ず意識は正しい方向に変えられ、本来持つ地球で生きる全ての能力を取り戻し、未来を切り拓くことの出来るような新しい意識も、そこから生まれる可能性が大きいからです。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とか、「毒を食らわば皿まで」とか、人間の思いや感情、そして出来事の中で、あまり良い表現ではない諺(ことわざ)も沢山あります。
そんな中でよく言われることが、「生霊に取り憑かれているんだよ」とか、「恨みを買っている」とか、また逆に、逆恨みのようなこともよくあります。
社会生活の中で、人間達が生きていく上で、誤解や勘違いや、また騙しや裏切り、色々な出来事が常日頃の中で存在しています。
自分が思い通りにならなかった時、そしてその思いが届かなかった時に、悔しさのあまりその人を憎んだり、また逆に憎まれたり、そんなことがよくあります。
また諺の中では、罪を憎んで人を憎まずという教えがありますが、確かにその通りだと思うのです。
人の悪口を言ったり、しかも陰に回ってこそこそしながら、そんなことをすると、必ずそれは自分に返っていきます。

色々な祈りの世界の中で、自分に降りかかった火の粉を払う為の儀式として、呪い返しの法則が存在します。
これは大変恐ろしい儀式のように思われますが、自分の身を守る為には必要なことかもしれません。
陰に回ってこそこそ根回しをしたり、自分を正当化する為に相手の欠点を強調したり、揚げ足を取ったり、色々な方法でそれは仕掛けられてきます。
そんな時に、自分の身を守る方法として、心のバリアを張ることも出来ますが、なかなかそこだけでは防御、出来ないこともあります。
入り込まれてしまった恨みや呪いは、ある種の方法でそれを何倍にもして、送り込んだ人に返す方法があるのです。
それが、正当な恨みでなければ、例えば逆恨みや勘違いや、そんなところから生まれたものならば、その発信源にその人のエネルギーを使って、しかも何倍にもそのエネルギーを増幅させて、返すことが出来るのです。
この呪い返しを受けた人は、自分の力によって自己を滅亡の方向へと導いてしまうのです。
 分かりやすくいうと、自分で自分を駄目にする、そんなことになってしまうのです。
それを世間では、自縛霊に取り憑かれると言われていますが、確かに自縛霊を送り込まれることもありますが、逆に自分が作ってしまうことの方が多いのです。

このことが分かっていたならば、本当に人を恨むとか、憎むとか、陥れるとか、騙すとか、そんなことをし続けたならば、それら全ては呪い返しに合い、自分に戻ることになります。
よほどの覚悟を持ってしなければ、もちろん、生死にかかわる問題となることでしょう。
目に見えない世界のこの力は、人間達に与えられた、最も究極な能力なのです。
そしてこの力を非常に多く持っているのが、倭民族といえるでしょう。
逆にこの力を、真逆な素晴らしい方向へと利用したならば、その人の心を豊かにしたり、安らぎや思いやりを強く感じることが出来たり、そして守り合える安心の中で、生活することが出来るのです。
そして、そういった生活のことを、和の日々、要するに、日和(ひより)とか、または和み(なごみ)と表現されているのです。
倭民族は、和人ともいわれます。
私達は、そういった能力を、常に正しい方向へと使い続けてきたシャーマンなのです。
だからこそ、悪い方向に扱わないで下さい。
この力は、私達を未来に導く、大変貴重な力なのです。

人間達の意識が狂ったり、自然界の法則が乱れたりして、植物達も悲鳴をあげている現実の中で、なんとしても今を変えなければならないと、強い信念で進んできましたが、欲と権利の妨害を受けながら、挫折する毎日でした。
人類の為にと、そして全ての生命の為にと、作り上げられたフォーマットウォーターでさえも、今の人々の心には届かなかったのです。
ある日神は、
『すべてを受け入れなさい。
 そして時期を待ちなさい。
 青柿を採りに行ってはいけません。
 柿は熟せば必ず落ちてきます。
 早すぎてはいけないのです』
そう伝えられました。
今まで、なぜ上手くいかなかったのか、それは時期の選択を間違えてしまったからなのです。
神の伝言通り、その日を待てば良いのに、焦りが逆に自分を駄目にしていった事実があったのです。

その後、神は人間達に、『人間よ、人になれ』と、『人間達よ、神を宿して人になれ』と、何度も念じてきたことを知りました。
しかしながら、神を宿せる人々が、また逆に神事をする人達が、狂っていく姿が多く見られました。
神はいつも人を試すのです。
人間の世界で、一石二鳥というような、とてもラッキーな出来事が起こることもありますが、神々の世界では、一石二鳥どころか、一石五鳥というような、そんなことも起こるのです。
凄い妨害を受け、全く機器の出ない日がありました。
その度に神に聞いたのです。
「これは神々のストーリーですか」と。
そして神は『そうだ』と、いつも答えてくれました。
それなら、そのストーリー通りに前に進むしかありません。
やがて、その答えが見えてきます。
やはり、神が突拍子もない手段において、新しい方向へと導こうとしてくれていることが、嬉しく思いました。
最近になって、柿は熟した、そう、お告げのようなものがありました。
そして、『もう隠さなくていいですよ。あなたは自分の能力を全て使うべきです』と。

この世の中で、神における奇跡が起こるとするならば、人類が自ら自分の意識を変え、神の意図する方向へ、進むことではないでしょうか。
神は言いました。
『私はお前の目の前のコップ一つ、動かすことは出来ないんだぞ』と。
確かに、その通りだと思われます。
神に言いました。
「それは私を使えば、簡単に動かすことが出来ますよね」と。
それが、神と人間の関係なのです。
意識を強く持ち、自然の中で、そのまま全ての神を受け入れたならば、私達に新しい未来が見えてくるはずなのです。
神は常に自然を通して、植物や動物や微生物でさえも、神からの伝言を、私達人類に伝えようとしているのです。

そう、神々達は、そのメッセージを人間以外の命に預けたのです。
そして人間達には、それを読み取る力を与えたはずなのに、人類はその能力を失ってしまったのです。
天変地異や、毎日の天候でさえ、本来ならば読み取る力を持っていたはずなのに、その能力を失い、物に頼り、そして今、初めてその能力に目覚めようとしていても、その方法に気付かないのです。
私達は、過去の全てを遺伝子の記憶と共に、繁栄を営んできましたが、それを読み取ることが出来なければ、何の意味もないことになってしまいます。
本来持つ能力を取り戻すには、自然界との究極的な触れ合いが必要だと、神は言います。
神経を研ぎ澄まし、意識を集中し、物に触れ、そこから何を読み取るのか、その時、想像力を極限にまで膨らませ、そして会話しなければなりません。
そのようなことが可能になった時、私達は、鳥のさえずりからもその意味を知り、植物のささやきも聞こえるのかもしれません。
そして、見えない世界とのコンタクトが取れ、現実を左右することすら可能となるでしょう。
神は最後に言いました。
『人類よ、早く無くした能力を取り戻しなさい。
 全ての人に、その能力はあるはずなのです』

日常生活を営む上で役に立つことは、過去の記憶と学びから生まれた能力であり、生きる為に能力が常に使われるものです。
そして、学びの中から記憶していく中で、最も記憶しにくいものが、学問という形になります。
 なぜならば、経験のない中で記憶しようとし、実践が伴わず、必要なのかまたそうでないのかが、その場においては結論付けることが出来ないからです。
私達は、小中高大と教育により、色んな事を学んできましたが、その学びがどれだけ日常生活の中で役に立っているのか、また何の為にそれを学んできたのか、社会生活を営めば営む程、必要でないことが余りにも多いことに気付かされます。

逆に、子どもから大人まで、大学に行かなくても学べる、日常生活における最も、合理的な理論が存在します。
それは、知恵という一言に置き換えられるでしょう。
記憶や学びの中から得た、学術的なものよりも、おじいちゃんやおばあちゃんから教わってきた、身近で最も使い勝手の良い知恵の方が、どれだけ役に立つことでしょうか。
例えば、ヨモギの中の何とかという成分が、何とかという反応により、何とか的な効果が現れるなんて、難しいことを考えなくても、転んですりむいたら、道ばたのヨモギを揉みほぐし傷口につけておけば化膿しにくいよと、簡単に言ったら、転んだらヨモギ、こんな風に憶えた方が、よっぽど楽なはずなのです。
それを難しい学問にして大学で憶えても、そこに含まれる成分の名前を憶えるだけで頭が一杯になってしまいます。

過去の地球において、今よりかなり優れた文明社会が存在していました。
その中で、誰もが分かりやすく、そして容易く理解出来るように、知恵という法則が生まれてきたのです。
かなり難しい学術的な研究を、現実の中の行為と結果において説明していったならば、その過程については、議論する必要はどこにもないことに気付かされます。
 分かりやすく言ったならば、なぜそうなるか、よりも、こうしたらそうなる、の方が、誰もが簡単に記憶出来る知恵という法則なのです。
知恵を法則化して物事を捉えたならば、それは日常生活に密着した形で、何の苦労もせずに憶えられる、唯一の方法なのです。
 なぜそんなに容易く記憶されていくのかというと、知恵というのは、人間が持つ脳の仕組みの中で、学問的に記憶される部分ではなく、図形と同じように本能的に記憶されるスペースの中に、その収納スペースがあるからです。

前に述べたように、本能記憶と観念記憶という脳の中の仕組みがあります。
観念記憶は憶えようとして憶えた記憶であり、本能記憶のように憶えようとしなくても、脳の確認作業の中でそれが自動的に記憶されていく部分が存在します。
知恵もそれと同じように、本能的に記憶されていくスペースの中に上手く滑り込み、日常生活に密着した形で存在しているのです。
これからの社会は、出来るだけ多くの知恵を持っていなければ、危機的な時を乗り越えることは出来ません。
 なぜならば、今、日常生活は社会という環境の中で、上手く仕組まれ、営まれています。
スーパーに行けばどんな食材も手に入るし、薬局に行けばどんな薬も買える、こんな便利な豊かな社会が、今後いつまで続くかは、見当もつかないことなのです。
もしこの社会の仕組みが壊れたら、私達は、多くの知恵を持った人達に頼るしか方法はないのです。
たかだか水一つ取ってみても、どのようにしたらその水は飲めるのか、またどのようにしたらその植物は食べられるのか、昔の人は学校に行かなくても、多くの知恵の中で豊かな生活を楽しんでいたのかもしれません。
今危機的な時を迎え、もう一度知恵の社会を築き上げ、生きる為の法則を理解してみてはいかがでしょうか。

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デルファトラ星の6人の科学者の1人です。
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