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私達は、何気なく生活している毎日の生活の中で、見過ごしてしまっている自然が余りにも多いことに、まだ気付いていません。
物事は、見ようとしなければ、何も見えないのです。
ここでもう一度、自然界のほんの小さな現象であっても、そこに目を向けてみたならば、新しい発見や驚きが生まれてきます。
一度とことん、自然界の在り方を、覗いてみてはいかがでしょうか。
例えば花一つとってみても、沢山の形や色が存在してきます。
季節を彩る華やかさの中に、昆虫達と共存している、厳しくもあり、また優しくもある生き様が存在しています。
きれいな色で誘い、蜜を与え、花粉をつけてもらい、お互いが共存しているのです。
昆虫が先なのか花が先なのか、そんなことはどうでもいいのです。
大地に根ざす生き物達の中に、微生物が居たり、また昆虫が居たり、そこから進化してきた全ての生命体は、自然界の法則の中で、逆にこの自然界を作り上げているのです。
余りにも見事に作り上げられた自然界は、人間達の想像を遥かに超え、鉱物の一つ、水晶も、あらゆる色があり、また見事に結晶したあの六角形の中にも、整然とした法則が存在し、たかだか酸素とケイ素のなす技の中にいろんな形があり、このランダム性は、計算では作り得ることの出来ない、見事としか言いようがありません。
非常に貴重な宝石類達も、原石を見ただけではそれが何か分からなくても、ほんのちょっと磨いただけで、見事な輝きを作り出してくれます。
こんな自然界の中で、人間達は、その自然を利用して、毎日生活しているのです。
太陽があって、地球があって、月があって、そこに全ての生命達が営みを持ちながら、私達人間と、友好関係の中で、生活しているのです。
秋の紅葉も、新緑の緑も、自然の中にあるからこそ、こんなに見事に、私達を楽しませてくれるのです。
今ある自然界を、人間が科学で作ろうとしたならば、世界中のあらゆる科学を利用しても、絶対に作ることは出来ません。
もちろん、意識や思いでも作ることは出来ないのです。
この見事としか言いようのない自然界を、誰が創造し、今の形にしていったのでしょうか。
私達は与えられたものの中から、それを利用する生活をしているに過ぎないのです。
自然界から与えられたその中で、工夫し、生きているに過ぎないのです。
人間達は、自然界の制作には、全く関与していないのです。
鉱物が見事に結晶していくのも、植物がきれいに咲き誇るのも、鳥達が楽しくさえずり合うことも、私達人間は、全くその現象に対しては、関与していないのです。
それなのに、万物の霊長であったり、食物連鎖の頂点にあったり、この地球における人間達のおごりは、すでに限界を超えています。
与えられ過ぎた自然の素晴らしさに気付きながらも、それを利用することしか考えず、それを守ることをしてこなかったのです。
こんなに見事な自然界が、目の前に繰り広げられている、その事実を、もう一度再認識し、この自然を守る方向へと、意識を変えていかなければいけません。
先人達が描いた、見事な壁画や、絵画や、それらの絵の具全ても、自然の岩や植物の色により、作り上げられているのです。
そして、染色された着物も、全て材料は、自然の中にあるのです。
もちろん石油も、自然からの恵みの、一番大きな存在であることに気付いて下さい。
私達が作り上げているものは何一つないのです。
全て自然界の法則の中で、上手くそれを利用している人間がいるだけなのです。
この見事な自然界は、幾度となく、愚かな人間の破壊により、壊されてきました。
必ず、元に復元する能力を持っています。
この見事な自然界の中に、私達が今、存在していることを感謝しながら、毎日の生活をしたならば、見えなかったものが見えてきて、さりげない出来事の中に、大いなる喜びを感じることも出来るのです。
人間の生き様の中に、人間同士のいざこざが存在し、どんなに心が荒んだとしても、自然界は全ての人に、しかも平等に、この素晴らしい彩りを与えているのです。
よく見ることが、気付くことになり、そして喜びへと繋がっていくのです。
この素晴らしい自然界が、目の前にあることに感謝しましょう。
危機的な時代を迎え、誰もが不安の日々を過ごしています。
安心して生活したい、何かに頼りたい、幸せになりたい、楽な生活がしたい、そんな大いなる望みの中で、毎日を過ごしていますが、決してその願いはそうやすやすと叶ってはきません。
不安な毎日が極限となった時、何かに頼るように、人間達は、心を食べる悪魔の所に駆け寄ってしまうのです。
その心を食べる悪魔は、とても優しく微笑みかけてきます。
「もう大丈夫ですよ」
「私に依存しなさい」
「全て頼っていいのですよ」
「あなたの不安は全て解消されます」
その甘いささやきを求めながらそこに入り込んでいくと、いつの間にか、そこに居ることがとても心地が良く、そこにしか安心感が持てなくなってしまいます。
そういった偽善の優しさが、その人を優しく包み込みながら、『私が面倒見てあげるから、あなたの心を食べさせて』と、上手く誘い込んでいくのです。
心を食べられ腑抜けになってしまうと、その悪魔の言うことしか聞かなくなってしまいます。
他の人が、それは間違いよと、いくら正しい答えを教えようとしても、その人には聞こえないのです。
それどころか、この素晴らしい世界、自分の大切な知り合い達を、誘い込んでしまうことすらあるのです。
この連鎖の中で、悪魔は大きく太っていくのです。
心が食べられてしまった以上、正しいか間違いかなど、何の意味も持たなくなってしまいます。
ただそこにいることが心地良く、そこで言われたことをしていれば、不安が取り除かれ、安心して生きていけるからなのです。
そして、そこにいる条件として、やはり必要となってくるのが、お金なのです。
悪魔は、心を食べながら、お金を要求してくるのです。
これから危機的な時代の中で、そういった悪魔の存在は、かなり増えていくことは間違いありません。
その悪魔のささやきに騙されないように、現実をしっかりと見、今起こっている現象を、ありのまま受け入れることが、その悪魔に身を寄せない為の、一番大切な法則なのです。
目の前の現実から逃れようとすると、そこに悪魔のささやきが待っているのです。
嘘で固められた安心感の中では、ただ現実を見失ってしまうという、それだけのことの中に埋もれているに過ぎないのです。
勇気を持って、現実のありのままを受け入れ、そして対処していくことが、これから最も大切なことになっていくのです。
なぜならば、悪魔の集団となった人々は、最終的には現実を受け入れなければいけない結果となることは間違いないからです。
どんなに安らぎを求め、そこに安心があったとしても、言葉巧みな優しさを得たとしても、それは現実からの逃避に過ぎないのです。
そこに、未来があるとは思えません。
確かに一時的には、心が安らぎ、穏やかな毎日を過ごせたとしても、その終わりは、必ずやって来るのです。
そして逃げ出す勇気もなく、逆に管理され、悪魔の正体を目の前にすることでしょう。
あなたは食べられていたのです。
やがて気付いた世界で、現実に帰ったとしても、それは手遅れです。
一度、悪魔に食べられた意識が元に戻ることは、非常に困難を要します。
すぐに楽な道へと、自分を委ねてしまうのです。
坂道を転がるような、そんな簡単な方向で、安らぎと温もりと、安心を求めた結果、その坂道を転がり続けるしか、未来に向かう方法がなくなってしまったのです。
やがてどん底に堕ちていき、二度と這い上がることが出来ない、しかしそこが恐怖であることすら気付かず、自分の人生を駄目にしていくのです。
その魔の世界は、言葉巧みに、そこに落ちる人達を待っているのです。
そこは蟻地獄と、何の変わりもない、恐怖の谷底であることは間違いないのです。
これからそういった誘いが、どんどん増えることは間違いありません。
その誘いに乗らない為にも、欲のかきすぎを捨て、現実を静かに見つめ、ゆっくり周りを見ながら、毎日を過ごすことです。
騙されないように。
甘いささやきは、必ず落とし穴が存在しています。
よく、水に関するビジネスや、例えば、浄水器や水の販売に対して、水だけは怖いからあまり触りたくない、という話を聞きます。
確かに、水ビジネスで儲けようとすると、神の逆鱗に触れるようなことが起こることは、よくあるのです。
戸室石の霊という話を聞いたことがあります。
加賀藩が辰巳用水路を作った時、戸室山の石や白山の石など、イオン鉱石といわれる石を用いて、用水路を作ったという有名な話があります。
ある時、もう一箇所同じ用水路を作ろうとした時、それを咎められ、その時に携わった工夫達を、秘密を守る為に、凄い数を殺したという歴史があったとされています。
確かかどうかは分かりませんが、その山の石を触ると、彼らの霊体に触れることになり、それをやろうとしたメーカーが倒産するといった、また不慮の事故が起きたという歴史が、報告されていることも事実なのです。
確かに水は全てを清めるものであり、水は常に神の領域の中にあり、それは、聖水でなければならないはずなのに、その水を、目的を不純なものにし、金儲けの道具にしたならば、神の逆鱗に触れることは間違いないのです。
全ての生命体にとって、水はなければ生きていけません。
いろんな神事・政(まつりごと)の中でも、水や塩を使って場を清め、最後に飲む水のことを死に水とまでいい、水と生命との関わり、そして人間と水の関係を含め、意識にも関与してくるような水の存在は、確かに神の領域といえるでしょう。
この日本でも、浄水器メーカーは沢山ありますが、やはりそのほとんどが、その経営に問題があった場合、そこから離れざるを得ません。
また、水で病気を治すとか、そういった限られた人間の為だけの目的として使われているようなものも、同じ結果をもたらしてくることもあるのです。
目的を明快にしながら、意識や心の有効性の中で、一般的に判断されやすい、常識的な感覚の中で行われている行為は別とし、それを金儲けの手段として利用したならば、必ず神のしっぺ返しがやってくることは間違いないのです。
今人間達は、地下水の汚染と、今回起こったような原子力発電所の事故に伴い、地下水も大気中の水蒸気も海水も、ことごとく汚染してしまいました。
ただでさえ、酸性雨や、工場排水などにより、どれだけの汚染が進んできたのかは言うまでもありません。
人間達は日常生活の中で、神が与えてくれた聖水を傷つけ、汚し続けてきたのです。
その結果、病気が蔓延し、意識障害が起こり、そしてその水を利用して儲けようとすることにより、水の意識そのものが、人間を破壊する方向へと傾いてしまいました。
神が与えた水を、人間達は、身近すぎる存在の中で、駄目にしていってしまったのです。
それをもう一度、復活させようと、自然界は、その法則の中で推し進めてきましたが。それはもう限界を超え、地下水までもがかなりの汚染に蝕まれているのです。
このような中で生き続けていくことは、大変困難を要することとなりますが、私達に与えられた最後の砦が、鉱物と微生物と植物達による、水の浄化作用なのです。
人間がこの水に触り、水を変えようとした時に、そこに電気や磁石を使ったり、科学でそれを変えたりしようとしたら、神はその行為を見逃すはずがないのです。
水は、全ての清めの為に使われるべきであり、命が生き続ける為に必要な物質なのです。
それを、悪い方向へ利用することは、決してしてはいけないことなのです。
私達が、今、しなければいけないことは、汚染させてしまったこの水を、いかに自然の法則にあった方向で、復元していくことなのです。
水を元に戻すことが、人類が今後、何年かかってもしなければいけない、現実なのです。
しかもそれは、自然界の法則に則り、自然界のありのままの形でそれを利用し、最も都合の良い形へと、水を変えていかなければいけないのです。
そしてそれは、急がなければいけない行為であり、また大量の復元が、条件の一つとなっているのです。
人類が生き続けていく為には、水の形を神の領域に戻し、聖水として、慎重に扱わなければいけないということなのです。
中世に描かれたヨーロッパの絵に、時々登場してくるのが、天使です。
天使と聞くと、なんだかすごく優しくて、包容力と愛で包んでくれる、なんだか心が和む存在のような気がします。
天使と聞いて、誰もが嫌なイメージを持っていないと思います。
しかし時々、その天使の絵の中に、弓や槍を持っている、そして微笑んでいる、ちょっと変だなと思うような絵もたくさん存在しています。
天国の使者である天使は、天国という楽園に住んでいて、この世を優しく見守っているかのように思えますが、そうでもないのかもしれません。
なぜ、天使が弓を持っているのか、その弓は何の為に必要なのか、そんなことを考えてみると、やはり天国を守る為には、武器が必要なんだという結論になってきます。
要するに、天使達が楽園を築く為には、その楽園を阻害するような悪魔達を、いかに消滅させるかが大きな課題になっているのです。
あの微笑ましい笑顔からはとても想像出来ませんが、それは否定出来ない現実なのでしょう。
天国という楽園は、そういった彼らの意識によって作られ、そして守られているのかもしれません。
多分、天使達は、ニコニコしたその笑顔で、弓を使い、槍を使い、悪魔を笑いながら退治しているのでしょう。
そんな彼らの隠れた強さと優しさが、楽園を築き上げ、平和な世界を見出しているのでしょう。
今のこの時代も、本当に激動の時期といわれ、悪魔が沢山存在しています。
しかもその悪魔達は、大変大きな力を持ち、この世の中を支配しているのです。
そんな彼らに、もし打ち勝つことが出来るとするならば、それは、強さを持った天使達に委ねるしか方法はないのかもしれません。
やがて来る危機的な世界の中で、悪は力を増し、大暴動は世界を揺るがし、略奪や強奪が、日常茶飯事のように繰り返される日が来るのかもしれません。
食糧危機を迎え、自然環境の大異変の中で平和を求めて生きようとしたならば、それは極めて限られた地域の中で、優れた能力を持った自己防衛が必要となることでしょう。
しかしながら、聖なる意識の人々達には、武器は存在していません。
ただひたすら逃げ隠れするしか、方法はないのかもしれません。
かつて沖縄では、人目を避け、洞窟の奥まで逃げたとしても、火炎放射器で焼き殺され、罪もない命がたくさん失われました。
この日本も、そんな悲劇の中で今があることも忘れてはいけません。
そして今、その時の悲劇よりももっと、危機的な時期を迎えようとしています。
人々の意識が人間としての心を失い、悪魔と化しながら、人類を滅亡への方向へと押し進めていってしまうのです。
そんな中でも生き抜き、未来を築き上げなければなりません。
生かされた命は、次の未来で新しい意識の元で発動しなければいけないのです。
楽園を築き上げる為には、やはり天使達に守ってもらうしかありません。
天国から送り込まれた使者は、この世を正しい方向へと導いてくれることでしょう。
その為に、天使達は悪魔を退治するあらゆる方法を知っているはずなのです。
天使から今学ぶことは、その強い心と限りない優しさ、そしてその包み込むような包容力でしょう。
人間は一人では生きていけません。
彼らのような意識と上手く融合しながら、もっと強くならなければいけないのです。
笑いながら悪魔を退治出来るような、人間にそんな強さがあったならば、間違った道へは進まなかったことでしょう。
天使に学ぶことは、未来を築く、大切な行為となるはずです。
この大宇宙を支配している、大いなる情報と法則を、光と音が管理し、また伝えていることはいうまでもありません。
全てのエネルギーは、この光と音から生まれ、そして意識や感情はこの光と音の範囲の中で育まれているのです。
私達人間には、目があり、そして耳があります。
目と耳が捉える情報量は、非常に大きなものといえるでしょう。
しかしながら、目や耳で捉えることの出来ない光や音は、まだまだ沢山あることに、私達は気付いていません。
しかし、全てこの音という周波数と、光という周波数の、この交差の中に、エネルギーが存在し、そして全ての情報を管理する、大宇宙の法則が生まれているのです。
この光の種類も、何万種もあるといわれています。
また、音の種類も、無限大にあるといわれています。
この組み合わせの中から、情報というプログラムが上手く組み合わされながら、そこに電子や陽子が上手く絡み合いながら、この物質という現象が起こり始めてきたのです。
要するに、この電子や陽子も、光と音のなす大いなる自然現象の一つに過ぎないのです。
私達がもし、この光の法則と音の法則を、もっと有効的に利用したならば、未来はもっと明るい方向に築き上げられていくことは間違いないのです。
もっと具体的に、この光と音の話を分かりやすく表現したならば、霊的現象も思いの発生も、物質という現実性を持った世界も、初めから光と音の世界の中に、あくまで仕組まれた素晴らしい法則の一つとなっているのです。
言葉という単語が、光と音から出来ていることは、前にも書きましたが、光と音の波は、確実に私達の脳を刺激し、そして宇宙の法則の中で、私達の人間の脳は、それを上手く利用したり、また感応し合ったりして、日常生活に役立てると共に、その光と音の周波数を自ら発生することにより、意思疎通が図れたり、思いが伝えられたりするのです。
今の私達は、それを古典的な形で、要するに言葉という形で表現していますが、この光と音の周波数を、意識の中でエネルギー変換が出来たならば、私達は口をあけずに、声を発生せずに、意思疎通が図れるのです。
また逆に、このような方法で、情報交換が出来たならば、時間も距離も、そして見分ける必要性すらもなくなってくるのです。
私達人間はこの光と音を、まだ利用しきってはいないのです。
耳や目で、聞こえる、そして見える世界のその周波数の中だけで物事を確認し合っていますが、その周波数を超えた時、我々は、そこを上手く利用する方向へと導かれることになるのです。
携帯電話で色々な人と話が出来るのも、携帯電話という受信機が存在し、それが私達に聞こえる音に変換されるから、その人の声が聞こえて、そして遠くの人と話が出来ます。
このように、電波を使っての、そして受信機を使っての、そういった行為を、そのような科学的な物質を使わずに、私達が本来持っている能力の中で、そういった部分を上手く利用することが出来たならば、時間や距離がもっと有効的に使われて、要するに遠くの人と、距離を関係せず、会話が出来たならば、社会は楽しく営まれることも考えられるのです。
人間よりも知能の進んでいるといわれるイルカ達は、そのような方法で会話し、あの広い海原の中で、お互いが交信し合っていることは言うまでもありませんが、人間達のその能力は、この極めて危機的な未来の中では、絶対的に必要な能力のひとつとして、蘇ってこなければいけないのです。
俗に言うテレパシー時代が、もうすぐやってくるのです。
人間が作るエネルギー的な電気ではなく、自然の中に存在するこの微弱なその電子エネルギーの中に、そういったプログラムが反映されることは、さほど難しい出来事ではないのです。
私達人間は、まだまだ未知的な能力を、その記憶を全て思い出すことには成功していないのです。
意識を集中し、本来持っているその光と音を超越する能力を、一日も早く取り戻して、未来に向かう必要があるのです。
それは、私達の脳を包む頭蓋骨と、和音によって作り出される、さほど難しくない現象なのです。