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人生目的を持って、より有意義に過ごそうとしても、自分を駄目にしてしまうのは他人ではなく、自分なんです。
 その最悪の敵、自分と戦うには大変難しい問題が生じてしまいます。なぜなら長く培った性格が、最悪の自分の応援に回るからなのです。
 その為には、まず最初に自分と、変えたいと思う部分の約束事を決め、箇条書きにして文章で残す必要があるのです。
 そして不合理な出来事に遭遇したとしても、自分との約束を守る。もう一人の正しい自分を作り上げ、戦わせるのです。
 正しい自分は、創造した未来の自分の姿を常に記憶し、箇条書きにした決め事を、守るように常日頃、訓練させておくのです。
 誰もが皆、目の前の高い壁を乗り越えるより、少し遠回りでも、楽な道を選ぼうとするのですが、それでは何時まで経っても、今までの繰り返しになってしまいます。
 新しい自分を見つけるには、一度で良いから全力で立ち向かい、苦難と思わず突き進む勇気を持てたら、良いんです。
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 他人の事は良く見えるのですが、いざ自分の事となると中々よく分かりません。それなのに自分を良く見せ様と着飾ったり人にお世辞を言ったり、この社会生活の中で上手く繕っていくそれは、大変素晴らしい事なのですがあまり演技し続けると、本当の自分が誰なのか分からなくなってしまう事があります。
 その上、自分という存在が分からないまま、自分に負荷をかけ、自分を追い込み、自分に自己暗示をかけながら、自分という人間を自分自身が、確認出来ない程見えなくしてしまう事があります。一体自分は誰なのか、なぜここに居るのか、気付いてみたら一体今まで何をやってきたんだろう、何の為にここに居るんだろう、自分で自分が理解出来なくなった時、自分に対して非常にやるせない気持ちが湧いてきます。
 かといって何かする訳でもなく、ただ呆然としながら毎日を生きている、そんな気もするのです。自分が見えなくなった時、よく原点に還ると、そんな風に言う人が居ますが、その原点すら思い出せなくなってしまう事もあるのです。一体今日まで、何の為に生きてきたんだろう、そんな疑問にぶち当たった時、人は自分の生き方に、大いなる矛盾を感じてしまうのです。
 一生懸命、働いてきてもそこに良い結果が、付いてくるとは限らないのです。愚痴を言い合っても、そこには結論が無く、ただ自分を惨めにしてしまうだけなのです。どんなに上手く生き様としても、それが良い結果をもたらすとは限りません。どんなに安易に生きてきたって、生まれた環境やその人の運により、色んな形で生き方が変わってきます。
 なんてついていないんだろうと思っても、そこから生まれるものも何も無いのです。いつも自分を見失い、その内、自分が誰なのかも忘れてしまい、どこに向かって生きるのかなんていう事は、どうでも良い事になってしまうのです。目的を見失った意識は、ただ呆然と未来を見つめ、今までの出来事に何の後悔もなく、ただ生きてきた毎日に重要性が無く、明日からの生き方に望みを感じる事もなく、ただひたすら、その一日を過ごす事が精一杯の毎日がこれからも続くとしたならば、そこで立ち止まろうと周りを見た時、初めてその自分に気付く事があるのかもしれません。
 しかしその立ち止まった一歩も、明日になれば又、平凡な毎日を一歩一歩前に進め動いていってしまうのです。この様な生き方を平凡と言うのかもしれませんが、良いのか悪いのか、それすら分からなく、ただ毎日を過ごしてしまう、社会生活の中に飲まれて生きる場合はそれで、良かったのかもしれませんが、これから迎えようとする日本人、そして世界における環境の変化の中で、そこを乗り越えていく為には、今までのこういった今を、その全てを何の意味も無く、時間だけの経過を過ごしてきたそういった生き方では、これからはそして未来は正しい方向へと進む事はありません。
 自分に出来る何かを見つけ、たった一つの結果でも良いから、そこに生きた生き様を残し、良い人生だと言えるそんな生き方が出来たら、まだまだこの日本も捨てたものではないと思います。
 この恵まれ過ぎた環境の中で、甘さが露呈された現実の中で自分を見つめ、明日をどう生きるか、少しだけ考えてみたら楽しくなるかもしれません。まだまだこの日本は、素晴らしい環境の下で、明日を迎える事が出来ます。
 大自然は誰に対しても平等で、その存在はとても優しいものです。
 そんな日本で生きられる事に感謝し、もう一度自分探しをしてみてはいかがでしょうか。

 菜の花公園に迷路が作られていて、その中を進んで行くと出口が分からなくなり、同じ所をくるくる回ってただ時間だけが過ぎていきます。
 綺麗な花畑ではその時間はとても美しく、迷えば迷う程楽しく遊べるのです。
 今人類は大きな花畑の中で、そこに迷路が作られ皆でそこに入り込みました。とても綺麗な花びらや香りの良い花に包まれ、いつの間にか時間だけが過ぎていきます。迷いに迷っている内に、自分が今何をしているのか余りにもの心地良さの中で迷路に入り込んだ事も忘れ、出口に向かわなければいけないのにそれすら忘れてしまい、花の色や香りを楽しんだり、そこで佇みながら空を仰いだり、とても綺麗な空気を吸ったり、充実したかの様な時間を過ごしとても幸せな時間を感じる事になります。
 しかしこれは、現実ではありません。
 私達はこの迷路を抜け出て新しい未来に行かなければならないのに、お花畑の心地良さの中で迷路で有る事も気付かされずに、要するに迷ってそして迷子に成っているのに、それに気付く事なく、前にも進まず同じ所をくるくる回りながら、毎日を過ごしているのです。
 ほんの小さな出来事に心痛め、花の葉が毛虫に食われたとか、蝶々が花にとまったとか、足元に蟻の行列が現れたとか、そしてさっきまで咲いていた花が散っていったりまた萎んでいったり、そうかと思えば新しい花が思いっきり開いたりして、その内大きな百合の花と出会い、黒いズボンに沢山花粉が付けられます。 落とそうと思って手で拭くと繊維の奥まで入り込んで、反って取れなくなってしまいました。
 向こうにはチューリップが沢山咲いていて、そしてその向こうには薔薇達が競い合って咲いています。とても新鮮な香りと花びらの美しさの中に我を忘れて入り込んで行くと、そこには棘が沢山出ていてズボンの繊維を引っ掻いていってしまいます。ボロボロになって歩いて行っても、その花達は優しく微笑んでくれています。百合の花粉で汚れたズボンと、薔薇の棘で傷ついたズボンは、迷路の中では気付く事はありません。
 花の誘いにそのまま誘われ、そして良い思いをしながら何日も過ごしてしまうのです。まるで浦島太郎の竜宮城の様な、そんな世界で私達は今、生きているのかもしれません。
 特にこの日本は色々な物が満ち溢れ、食べ物も衣料も何でも手に入ります。綺麗な服を着て、美味しい物を食べて、幸せ一杯の様に毎日を過ごしている、ただ見えないのは足元です。今、足元が大変危険な状態である事に、気付かないのです。
 そして花畑の真ん中で色々な人と出会います。とても心地の良い世界の中では、誰もが悪い気をせず挨拶も軽やかに、そして甘んじた意識の中で、食べ物のゴミを地面に何気なく捨て、その上を歩いているのです。
 花畑の表面は色取り取りでとても美しく香りも豊かですが、足元には食べ物のゴミや、そしてそのゴミに群がる微生物や昆虫、そして蛇もうじゃうじゃ、百足(むかで)もうじゃうじゃ、そんな足元はお花畑の色に誤魔化され、全く見ていないのです。
 私達の今の現実はそれとよく似ています。それに気が付く事があったとしても、足元を見ないように歩いて行ってしまうのです。綺麗な洋服を着ていても、汚い靴を履いていてはそれは余り良い事ではありません。
 今、私達はその現実を目の当たりにしなければいけません。美しい花に魅了されつつも、この迷路を出口へと向かわなければいけません。要するに、出口を探そうとする意識を、今持って下さい。どんなに複雑な迷路であってっも必ず出口は存在します。
 今居るこのお花畑よりも、もっと素晴らしい大きな森や、小川のせせらぎや、小鳥達の歌が聞こえる、そんな世界が向こうにあるのかもしれません。
 その事も夢見ながら、未来に向かって進むべきではないでしょうか。

 人を騙そうとした時、その騙そうとしている人が何を考えどの様な落とし穴を掘るのか、それが今起こっている現象の中で余りにも多いのも事実です。
 色々なセミナーに誘われ何か良い話の中で、沢山の説得と騙しが有り、結局しょうもない商品を売りつけられたり、何て安い商品なんだろうと思ったらすぐ壊れてしまったり、この人間社会では、裏の有る出来事が余りにも沢山有り過ぎます。
 何で人々はこんなに騙され、騙す人はなぜこんなに良い人を装っているのでしょうか。あなたの性格が変わる様なとても素晴らしい方法が有ります。二泊三日で1万五千円。何でそんなに安いのと行ってみると、この商品を買わないとこの勉強会には参加出来ません。大変高いグッズを買わされたりする事も有るのです。でも、もうそこまで行ってしまったら後へは引けず、仕方なくそれを購入し結局、ぼったくられて帰って来るのです。
 そういった事をする人達は、もの凄く優しく人を包み込んで言葉丁寧に誘ってくれたりするのです。人は見掛けによらないという言葉通り、いかつい顔をした人が何かに誘ったって、ついてくる人はいません。だから詐術的な要素は必ず誰から見ても優しく、そして真摯に見えなければいけないのです。強く見えてもいけないし、けんかを売る様な言葉を発してもいけないのです。包容力で包み込み、そしてその人の行為を全て許してあげる様な、温かい笑顔の素敵なそんな人が、本当は悪魔なのです。
 正しい人々は、人を騙そうと思っていない人々は本当の事を伝えます。多少はそこにお世辞が混じったとしても、いつまでも笑顔でニコニコしながらそんな事をするわけがないのです。
 こういうことをしてはいけませんよと言う、その時の正義の顔は、結構きついものかもしれません。でもそういったきつい顔を見た時、何て嫌な人なんだろうと思ったら、あなたは騙されやすい性格と言えるでしょう。
 きつい事を言ってくれる人の方が本当は大切な人なのに、おだてられお世辞を言われ、その気にさせて暴利をむさぼる様なそうした人達が今非常に多いのに、大概の人はきつく真実を言う人を嫌ってしまうのです。
 やはり何かを変えようとした時は、結構きつい言い方になってしまう事がよく有ります。自然環境や今、起こっている危険な行為の中でそれを正そうとしたならば、強い口調になってしまうのは、当たり前の現象ではないでしょうか。
 しかしどうして私達は、優しく微笑んでくる悪魔を信じて容認したがるのでしょうか。なぜそんなに真実を見抜く力が無いのでしょうか。
 沢山の騙しの中でそういった人達は、初めから騙すつもりで優しく振舞っているのに、その裏が見えないのです。
 落とし穴を掘ったその落とし穴に人を落とすには、優しくそこに導かなければなりません。初めから大きな穴が見えていてこっちに来いよと言ったって、行く人などいるはずがないのです。やはりその落とし穴が、何もない様な上手い繕いと隠しの中で、そこに誘導する人は優しく優しく微笑みかけ、その落とし穴に誘い込んでくるのです。
 前にも本に書きましたが、落とし穴は必ず先に掘った物です。何でこんな良い人がこんな悪い事をするの、そんな事はないのです。落とし穴に落とす為に仮面を被っているに過ぎません。安い商品を高く売りつけたり、心が豊かになる様なセミナーに誘い込み、後で自分の欲を満たそうと卑劣な行為を繰り返す、そんな現実が結構多い事も事実なのです。
 優しい言葉と笑顔には気を付けて下さい。小さな出来事を許してくれる様な、そんな笑顔に気を付けて下さい。入り口が容易い場合、出口は過酷なものです。安いからといってそれに飛びつくと、結構高いつけが回ってくる事もあります。
 今この社会はほとんどの人が騙された経験を持っていますが、それは自分の心の弱さと甘えから来る、必ず陥る現象なのです。
 本当の事を言う人は厳しい人、騙す人は優しい人、人間毎日ニコニコしてなど暮らせるはずがないのです。いつ会ってもニコニコしていたら、ただの偽善者です。
 それを見極める力をやはり私達は持たないと、これからも騙され続けます。
 少しだけ、その人の裏を見てはいかがでしょうか。

 世の中がこんな風に大変激動の時代を迎えてくると、誰もが多くの悩みを抱えながらそしてそれが不安の渦となり、生きる事に疲れた人達はそれを解消しようとして何かにすがっていこうとします。
 あなたの不安を解消してくれますよというビジネスが今、盛んに行われています。ある種の宗教団体やスピリチュアル的なセッションも皆、この人の弱みにつけ込んだお金儲けの世界なのです。もし自分の中に心の不安があったとしたならば、そこから逃れる方法は自分の努力でしか有り得ないはずなのに、誰かに相談に乗ってもらったり、心の支えになってもらったりしながら、そこを打開していこうとする考え方が反って利用され、そんな大きな落とし穴に落とされていくこともあるのです。
 例えば被害者の会が出来上がったとして、その被害者の会は救済するごとくある種の人が現れ、そしてその被害者から暴利をむさぼる、そんな事も日常茶飯事に起こっているのです。お金の足りない人に対してお金を貸してあげるその代わり高い金利を取る、貧しい人から儲けようとするこういった考え方も沢山あるのです。
 これがお金ではなく心の貧しい人に対して行われている行為が、スピリチュアル系セッションです。貧しい心の人達を集め不安を与え、私に依存しなさいと伝え、そして暴利をむさぼり、その人をより一層、不安の世界へと落とし込んでいくのです。もっと酷い話の中では、あなたが霊的に苦しんでいるその原因は、あなたが先祖をないがしろにしているからだと言い、先祖供養という名目で1体3万円といった、そんな話を聞いたことがあります。そして関わる先祖が200体以上で1千万以上も取られたという話を聞いたこともあります。果たしてその方が先祖供養をしてくれたのかというと、そんなことをする人達にそんな能力があるはずがありません。
 仏教という神聖な儀式を利用した詐欺的存在が、多くあるのも仕方ないことなのかもしれません。それ程までに心がすさみ不安を感じ、未来をどう生きるかという迷いの中で、多くの人が存在しているのかもしれません。そこにつけ込むビジネスが余りにも多いのは、そういった心の不安を持った人が、そこに頼るからではないでしょうか。
 しかしそこに行っても一時的な安らぎと安心が得られたとしても、解決といったそういった法則は見出すことが出来ません。なぜならばそこに誘い込むそういった人達はそこにつけ込んだ、霊感商法のプロであり、蟻地獄に陥れることが彼らの目的だからです。要するに初めからそういった人を利用する為に、彼らが存在しているのです。でもそこに誘いそして洗脳し、そこを居心地の良い場所と勘違いさせ、その集団はそこに落ちてくる人々から暴利をむさぼりながら、意外と裕福な生活をしている現実があるのです。
 騙される人が悪いのだという考え方もありますが、人の弱みにつけ込んでいったこの卑劣な考え方がなぜ、日本人程の身分の高い、そして意識の面でも素晴らしい存在がなぜ、そこまで悪いことをするのでしょうか。
 やはり現代社会の中でそこまで日本人は、落ちぶれていったのではないでしょうか。非常にがっかりする現象ではありますが、そこをとやかく言う訳にはいきません。とにかく自分の不安は自分の中で起こる現象であり、一時的にそれを他人によって補ってもそれは解消することはありません。いかにその不安を受け入れ、そして自分に出来る範囲の中で解決策を見出すことが、とても重要なことと言えるでしょう。
 本当に大変な時代になりました。お金を騙し取ろうとしたならば、お金持ちより貧乏人の方が数倍騙し易いのです。
 こういった世界がここにある事を今、深く認識してはいかがでしょうか。

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